ダービースタリオンマスターズ(ダビマス) ノーザンダンサー直仔種牡馬たちの相次ぐ大成功で、その血は世界中を席巻する

ダビマス ノーザンダンサーの血は世界中を席巻する

直仔種牡馬たちの相次ぐ大成功で、その血は世界中を席巻する

競走馬として、そして種牡馬として大成功を収めたノーザンダンサーだが、彼の真の偉大さは、その直仔たちが種牡馬や繁殖牝馬になってから、その真価を発揮したとも言える。

 

ニジンスキー

ニジンスキー

 

種牡馬として最初の大成功を収めたのは、ノーザンダンサーの最強産駒とも言えるニジンスキーだった。ゴールデンフリース、シャーラスタニという2頭の英ダービー馬を筆頭に、ファーディナント(ケンタッキーダービー)、カーリアン(仏ダービー)などの欧米のクラシックホースを輩出したニジンスキーは、種牡馬としても父の名声をさらに高める孝行息子となった。

 

リファール

リファール

 

ニジンスキーに続いたのが、現役時代はヨーロッパの一流マイラーとして活躍したリファールだ。1977、78年に仏リーディングサイアー、1986年に北米リーディングサイアーを獲得した彼は、「1980年代ヨーロッパ最高の名馬」と呼ばれたダンシングブレーヴ(凱旋門賞、Kジョージ6世&QエリザベスS)、アメリカの芝王者マニラ(ブリーダーズCターフ、アーリントンミリオン)といったスーパーホースたちを送り出した。

 

1980年代後半から1990年代にかけても、ノーザンダンサーの直仔種牡馬の勢いは止まらない。アメリカではダンチヒ、ヨーロッパではサドラーズウェルズという大種牡馬が登場し、彼らは北米リーディングサイアーや英愛リーディングサイアーの座を獲得し続けた。

 

そして日本にも、ノーザンテーストというノーザンダンサー直仔のスーパーサイアーが誕生する。1976年から北海道早来にある社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始した彼は、1982年から11年連続で中央競馬のリーディングサイアーを獲得するという前代未聞の大記録を打ち立て、アンバーシャダイ、ダイナガリバーなどの素晴らしい後継種牡馬も残している。

 

ノーザンテースト登場以前の日本の種牡馬事情といえば、「日本独自の発展を遂げた父系が活躍している」と言うと聞こえはいいが、「欧米では廃れてしまった父系がいまも残っている。つまり血統的には、日本は欧米よりだいぶ遅れている」という言い方もできるものではあった。だけど、ノーザンテーストと、それに続くニジンスキーの直仔であるマルゼンスキーやヤマニンスキーの活躍によって、欧米の主流血脈と日本の主流血脈は「ノーザンダンサー系」ということで完全に一致した。

 

圧倒的な経済力を背景にして欧米の名馬を大量に輸入したこともあるが、1990年代に入って日本の競馬のレベルが、ほぼ欧米と肩を並べるところまで来れたのは、1970年代の半ばにノーザンテーストを導入したことによって、血統面における基礎能力が飛躍的にアップしたことが、何よりも大きかったといえるだろう。

 

日本に限らず、ノーザンダンサー登場以前は、アメリカにはアメリカの、ヨーロッパはヨーロッパの独自の父系が栄えているのが常だった。1970年代以降、輸送手段の各段の進歩などがあって、世界の競馬の「達成感」が急速に縮まったという事情もあるが、ノーザンダンサーとその直仔の種牡馬たちは、北米とヨーロッパを隔てる大西洋をいともたやすく飛び越え、日本やオーストラリアにまでその枝葉を伸ばしていった。

 

世界中の競馬場で、牧場でノーザンダンサーの血を受け継いでいるということは「血統的に優秀な」という意味と同義語となった。ノーザンダンサーは、史上初めて血統面での「世界統一」を成し遂げた覇者だった。

 

ノーザンダンサーが種牡馬入りして30年強。その急速かつ世界規模の大成功の要因を、日本の有力競馬関係者は、こんな言葉で現してくれた。

 

「基本的にスピードがあるっていうのは、間違いないんだけど、それ以上に内蔵面の強さと環境に対する適応力がすごいんじゃないかな。だから、どんな国へいっても、自分の能力を安定して発揮できる。言葉にするとどうってこともないかもしれないけど、ノーザンダンサー系って、『無事是名馬』を体現してるんじゃないかな」

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