種牡馬の可能性を広げてくれるダートのG1誕生
1997年の番組改訂の最大の目玉は、史上初めてダートコースで行われたG1競走が設立されたことだ。中央競馬では、2月に行われているフェブラリーSが、それまでのG2から昇格する形でG1になり、レースでは岡部幸雄騎手騎乗のシンコウインディが勝利を収めている。
フェブラリーS以外にも、地方競馬のコースを舞台にしたダートのG1レースも、全部で5つ行われることになった。多い競馬場で行われる帝王賞、5歳以上、1997年の勝ち馬はコンサートボーイ、父カコイーシーズ、東京大賞典、盛岡競馬場のマイルCS南部杯、ダービーグランプリ、そして川崎競馬場での川崎記念が、その内訳。もちろん、地方競馬所属馬が出られるように、中央馬の参戦は可能だ。
「G1の粗製濫造だ」という批判もあるにはあるし、1月下旬の川崎記念の半月後に、同じような条件のフェブラリーSを行うなど、日程的な問題も残されている。だけど、芝のレースと違い、スピードに加え、パワーが問われるダートレースのG1ができたことによって、競馬の楽しみの幅がひろがることは確かだ。
ここから先は推測を交えた話にはなるが、ダートのG1戦線が、ファンや関係者の間に完全に定着する頃には、日本のいわゆる「ダート向きの種牡馬」の傾向も変わっていく気がする。
日本のダートレースで活躍する種牡馬は、自身は芝で成績を残したタイプが案外おおい。デュラブやカコイーシーズといったダートのG1ホースたちの父も、芝のレースしかないヨーロッパを主戦場としていた馬だし、ドバイに散った「砂の女王」ホクトベガの父ナグルスキーは、カナダの芝の重賞で3勝をマークした競走馬だった。キソジゴールドなどを送り出したワッスルタッチも、イギリスで走っていた馬。また、内国産種牡馬に目を転じても、キョウトシチーの父サッカーボーイは、マイルCSや阪神3歳Sをぶっち切った芝のG1ウイナーだ。
上記5頭の内、カコイーシーズを除いた4頭がノーザンダンサーの血を受けた種牡馬。改めて、ノーザーンダンサーの万能の血を感じてしまうが、いずれによせ、ダートの一流馬たちの父は、スピードの絶対値を競ったり、ゴール前の瞬発力が物をいうような芝のレースには、いまひとつ向かないが、スピードの持続力とパワーには優れているといったタイプだ。裏返せば、中央馬でダート路線に向かうのは、芝のレースで行きつまった馬が、これまでは多かったということだ。
だけど、今後ダートのG1戦線が、かつての短距離G1戦線のように、一種独立したものになるにつれて、自身もアメリカのレースで実績を残したような、ダートのスペシャリストの仔が幅を効かせるようになると思う。